あの未憎悪の災害から4年が経ちます!
今なお、仮設住宅での生活を強いられている方が沢山いる一方、震災の風化も囁かれています。また、日本各地では地震の影響で火山噴火の危険性も高まってきています。震災から4年が経つ今こそ、もう一度防災への関心を高めて頂けたらと思い、当時、当倶楽部が災害支援に従事した時の事を少しお伝えしたいと思います。
私達は、ちょうどツアーに使用する船のメンテナンスを夢の島マリーナで施している最中に大きな揺れに見舞われました。
当時のニュースでも取り上げられたとおり、夢の島はあちこちで液状化が起こり、最大45㎝の地盤が沈下する状況を目の当たりにしました。それから直ぐ、大津波による東北地方の被害がテレビにリアルタイムで映し出され、更に隅田川では2mの津波が遡って行く光景を目にし、大変な事態になっていることを身をもって感じたのを覚えています。
それから1週間、全国で自然体験活動を行っている団体が、孤立集落の物資運搬などに従事するため、宮城県登米市に集結している事を聞き、当倶楽部からも4名が現地に向かいました。
東北道を通行できる許可を取り仙台へと向かう中で、白河に入ると直ぐに周りの状況が一変する事に気づきました。高速道路は、あちこちで穴が開き、段差が目立つようになり、並行する新幹線の架線は、全て垂れ下がっています。そして、現地は沿岸部をつなぐ道路の殆どは寸断され、全て内陸から沿岸へと続く道路しか使えません。そんな、かろうじて瓦礫を避けて作られた道路を進むと高台に大小の建物が点在します。
ここは、全て避難している人の寝泊まりしている施設なのです。
町で決めた避難所ではない場所や、たまたま逃げた施設や残された建物に住民が集まっている施設では、着るもの、食べるもの全てが不足し、瓦礫の中から探し出すような状況でした。
私達は、テレビでも紹介されている町が指定した避難所も訪れました。ここでは、着るもの、食べるものが幾重にも積み上げられ、場所によってギャップが大き過ぎる事に、驚きを感じました。 なぜこのような状況が起こるのかと言うと、被災者が直接取りに来る分には分けられても、分配し配達することは、不公平になりできないからだと行政担当者からの説明でした。
この災害支援活動の中で、自分の身は自分で守る事が私達の現地での教訓でした。
未憎悪の災害では、行政サービスにも限界があります。もし、首都直下型が起こった場合、東日本大震災の何倍もの被害に見舞われることでしょう。
いつ起きるかもしれない災害に、冷静に対応できる準備を普段から備える必要があると思います。備蓄食料だけでなく、チェンソー・エンジンポンプなど様々な道具に触れ使い方を熟知する事もおススメします。
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